卓ゲ好きの猫又

【レジスタンス:アヴァロン】バッティング回避セオリーについて

こんにちは。今回は久々に「レジスタンス:アヴァロン」の記事です。

 

※2019.7.30  書きたいことが増えたので記事の内容の大幅改訂を行いました。

レジスタンス:アヴァロン日本語版

レジスタンス:アヴァロン日本語版

 

 

今回は、このゲームの「バッティング」について思うことを書きます。

 

 

バッティングとは?

赤陣営が旅のメンバーに2人以上含まれてしまい、〈失敗〉が2枚以上出てしまうことをバッティングと言います。こうなると多くの情報が出てしまうので大幅に不利になります。6人戦で第1Rにバッティングを起こして確定赤になったのは良い思い出!

ベストなのは誰かが〈成功〉を出すことで、〈失敗〉を1枚だけにすることですが、息が合わずに成功してしまう恐れがあります。

したがって、赤陣営は旅のメンバーに1人だけ混ざるのがベストです。

よって、青陣営も「赤陣営は仲間と一緒に旅に行きたがらない筈だ」ということを利用した推理が成り立ちます。

 

バッティング絶許マンのセオリー

しかし、バッティングは(オベロンがいる配役を除いて)以下のセオリーを守るだけで防ぐことができます。

バッティング回避セオリー

赤陣営が2人以上旅のメンバーに含まれた場合、

リーダーが赤なら→リーダー以外は必ず〈成功〉を出す。

リーダーが青なら→リーダーから時計回りに数えて最も席が近い人以外は〈成功〉を出す。

 

これを守れば、もうバッティングは怖くない!

 

バッティングはメタの温床

少し話が変わりますが、ここでバッティング回避セオリー(以下、めんどいので「セオリー」)がない卓でのバッティングに関して思うことを書きます。

このゲームを何度も固定メンバーでやっていると、少なからずメタ*1が介入してくるんですよね。それはネット人狼の仮面方式*2ではないので当然だし、メタを利用した駆け引きの面白さというのもこういうゲームの醍醐味の1つだと思うので、ある程度のメタなら僕は許せます。(あんまり酷いとやだけどね)

しかし、バッティングに関するメタは影響が大きいです。

例えば、あなたがAさんと赤同士で、一緒に旅に行くことになってしまったが、たまたまあなたが〈成功〉を出してAさんが〈失敗〉を出して乗り切れた。こういうことが何度もあると「Aさんは仲間と一緒に旅に行くとき〈失敗〉を出すプレイスタイルだ」ということが定着してしまい、結果的に、セオリーがなくてもバッティング回避ができるようになります。

これが重大になるのは、その卓に何人か新参プレーヤーが参加するときです。こういったメタ的なものを新参プレーヤーは知らないので、それだけでかなり優劣に差がでてきてしまいます。

これが極めて不公平だと思うので、僕はセオリーを推します。初心者にもこのセオリーを教えればメタによる優劣差を防げるからです。はい、優しい。

 

バッティング回避セオリーがつまらないと思う方へ

このセオリーに対する批判として、「ゲーム性を損なう」「赤有利になる」ということが挙げられます。そう感じる方も多いかもしれません。

というわけで、雑に作ったものですがハウスルールを提案します。セオリーが浸透した卓や、何度も固定メンバーで遊んでメタが入りまくってる卓で、バッティングを楽しみたいという方がいたら参考に。2つ考案しました。

 

①・ゲーム中、セオリーを使って良いのは1回だけ

・1回使った場合、その後は旅のメンバーに赤陣営が複数含まれた場合も、必ず全員〈失敗〉を出さなければならない。

 

②・旅のメンバーが決まったあと、青陣営(とオベロン)は目を閉じる。

・赤陣営はハンドサインで「全員〈成功〉を出す」か「全員〈失敗〉を出す」かを決め、その通りに実行する。「誰か1人だけが〈失敗〉を出す」など、これ以外の選択をしてはならない。

 

①の方は完全にはセオリーを撤廃していません。

②の方は完全に撤廃していますが少しダウンタイムがあるのが面倒に感じるかもしれません。

 

余談:このゲームのゲーム性に関して

先ほど「ゲーム性を損なう」と書きましたが、どうなんでしょうか。少し暴論かもしれませんが、こんな簡単なセオリー1つでバッティングを防げるなら、バッティングはそもそもゲーム性の1つではないと考えることができます。

「赤陣営の顔合わせ時間に赤陣営がジェスチャーでお互いの役職を伝える」とかは流石にマナー違反だと思いますが、バッティング回避セオリーは「セオリー」の範囲内であって「マナー違反」だとは僕は思いません。

ドミニオン*3」というデッキ構築ゲームで、第1版の基本セットのみの環境だと、アクションカードをあまり買わない「ステロ」という戦略が猛威を奮っていました。でも、アクションカードをたくさん買う「コンボデッキ」の方が楽しいです。でも、ゲームのシステム上、「ステロ」の方が強い。だから「ステロ」でどのようにして戦うか。これを考えるのがドミニオンの「ゲーム性」だった*4

つまり、「ゲーム性」というのはプレーヤーが「こっちの方が楽しい」という観点で決めるものではないと僕は思うのですがどうでしょうか。

つまり、バッティングがあった方がゲームが面白いと思っても、そもそもこういうゲームなんだから仕方ねぇだろ、っていう話です。

それに、僕はバッティングがなくても面白いと思います。バッティングを利用した推理ができると、かなり盤面的なロジックだけで詰められるゲームになってしまい、「会話の妙」が損なわれるような気がします。

 

僕はバッティング回避セオリー撤廃ルールを2つ書きましたが、あれを人狼で例えるならば、「霊能者が2CO出ても両方吊ってはいけない」というハウスルールを組んでいるようなものです。

人狼でライン戦を楽しみたいならこういうハウスルールを導入すればいいし、アヴァロンでもバッティングを楽しみたいと思ったら上記のハウスルールを導入すればいいです。それは否定しません。

でも、合理的なセオリーを「つまらない」という理由だけで跳ね除けていたら何も進展しないよなぁ、って思います。人狼のローラー戦略とかいう作業ゲーが面白いと思ったことが一度もないんですが。初日FOも正体隠匿ゲームらしくなくて嫌いです。でも人狼はこういうセオリーに支えられて進展してきました。

僕はこのように考えてるんですが、どう思いますか。意見欲しいです!

 

 

・・・余談がメインになってんの草。

*1:ここでは、「人読み」のこと。「猫又は赤陣営のとき静かだよな」とか。

*2:ゲーム終了までユーザー名も公開しない形式のこと

*3:世界的名作カードゲーム。知らない人はググろう。あ、知らない人いるわけないよね?(威圧)

*4:ドミニオンを知らない人のために書いておくと、現在は沢山の拡張セットが出て、コンボデッキ優位な盤面が多い時代です。あ、ドミニオン知らない人なんているわけないよね?(2回目)